■シベリアに抑留されていた人の娘さんとの出会いから自分の体験を積極的に話す決意を
じつは源じいは自分のシベリア抑留体験を積極的に語ってきたわけではない。源じいがシベリアから帰国した当時のソ連は共産主義圏の中心をなす国だった。そのため、帰国した源じいたちは抑留中の収容所生活で共産主義を教え込まれてきた“危険思想の持ち主”ではないかと疑いの目で見られることが少なくなかったからだ。
「確かに朝礼のときに『インターナショナル』(伝統的な共産革命の歌)を歌わされたりはしましたが、言葉が通じないし、生きるのにやっとのなかで、共産主義教育なんてできはしませんよ。でもやはり世間の目は厳しいものでした」
5年前、そんな源じいのもとに一人の女性が自分の著書を手に現れた。くしくも源じいと同い年で静岡市生まれの父・窪田一郎さんが満州に渡り、関東軍に召集され、シベリアに抑留された生涯を綴った『シベリアのバイオリン』(地湧社)の著者でピアニストの窪田由佳子さんだ。窪田さんは人づてに、父・一郎さんと同い年でシベリア抑留の経験をしている源じいのことを知り、本を手渡しに来たのだった。窪田さんはこう話す。
「父は1981年に55歳で心筋梗塞で亡くなるまで、娘の私にシベリア抑留中の話をよくしてくれていました。その父の話を綴ったのがこの本です。これを読んだ人から、同じ静岡市に父と同じ体験をしてまだ生きている人がいるよと教えられたのが源じいの存在。再び父に会うような気持ちで、源じいを訪ねたことをよく覚えています」
昨年『シベリアのバイオリン』は影絵を用いた絵本にもなった。
「シベリア抑留のきびしい現実と、父が現地で生きる希望としてバイオリンを手作りし、収容所で戦友同士で楽団を作って演奏した物語です。源じいは涙を浮かべながら読んでくださいました」
その窪田さんから、シベリア抑留体験者はもう残り少ないと教えられ、源じいは語り部として、その経験を積極的に外に向けて話そうと決心する。
「もう静岡県ではシベリア帰還者で生存しているのは源じいだけ。それだけにこんなにかくしゃくとしてお元気なのは信じられません」
と、窪田さんは目を細める。
現在、源じいには妻のはまこさんとの間に4人の子供がおり、4人の孫、そしてひ孫も2人いる好々爺だ。はまこさんは介護が必要になり、介護施設に入所。少し寂しくはなったが、毎朝5時に起きて、自宅の周辺を散歩するのが日課。その足取りはとても100歳とは思えないほどしっかりとしている。
「シベリアの過酷な収容所生活を生き抜き、酒販店を繁盛させ、いまは“億招きじい”とみなさんに喜ばれて。その原点であり、生き抜いてきた証しがこの黒ずんだ古い飯盒です。迷ったときは、常に自分の“第一感”に命を託してきました。今年は戦後80年。私は100歳の節目の年。必ずや、この売り場から億万長者を出しますよ。夢は大きくやってみなはれです」
この飯盒こそが、奇跡の大当たりを出し続ける「丸源」の命の源。源じいの目はそう語っていた。
