部屋の隅に丸裸の死体が山積みに…100歳の宝くじ売り場店主が“シベリア抑留”から切り開いた壮絶半生
記事投稿日:2025/03/30 11:00 最終更新日:2025/03/30 12:32
■1944年1月、「平喜洋行百貨店」の新年会。日本各地から多くの日本人が満州へと渡ってきていた
1944年1月、「平喜洋行百貨店」の新年会。日本各地から多くの日本人が満州へと渡ってきていた(中央が源じい)
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シベリアの収容所内で、物資のないなか、元彫金職人の戦友の刻んでくれた「加藤源一」の銘が蓋に刻まれている(撮影:水野竜也)
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1970年、「丸源酒店」の前で従業員と(左から二人目が源じい)。右隣が妻・はまこさん。家庭ははまこさんに任せっきりだったとか
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1965年、サントリーの佐治敬三社長(当時・写真右)は「丸源酒店」を訪問。二人は地元のサントリー会などで長く親睦を深めた
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昨年、絵本になった「シベリアのバイオリン」を手に著者の窪田由佳子さんと。源じいは「読んだ途端、涙が止まりませんでした」(撮影:水野竜也)
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「シベリアの収容所を生き抜き、いまは“億招き”じじいとみなさんに喜ばれて。その原点であり、生き抜いてきた明石がこの黒ずんだ飯盒です」(撮影:水野竜也)
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