亡き父の作ったワクチンが「余命4カ月の息子」の命を救う
元「ソニー・ミュージックエンタテインメント」社長で、現在の”K-POPブームを仕掛けた男”といわれる丸山茂雄氏(70)。彼が喉に違和感を覚え「これは、がんだな」と直感しながら検査に行ったのは’07年11月のことだった。
主治医から受けた診断は、『食道に6センチの扁平上皮がんがあり、リンパ節にも転移。進行ステージⅣで、この段階で手術してもあまり意味はない』というものだった。余命は4カ月。残された放射線治療と抗がん剤投与を続けながら、彼はある行動に出ていた。
「実は喉がおかしいと思ったときから、自分で親父のワクチン注射を始めていました。家にありましたしね。あらゆるがんに効くわけではありませんが、劇的な効果があったという症例も知っていたので。『もしや僕にも』とワクチンを使うことは、心の平安を保つことにもつながりましたね」(丸山氏)
それが丸山ワクチン。副作用がほとんどないことから’76年に「がん治療薬」として製造承認注目されたが、その認可は見送られてしまった。だが医師や患者らの強い要望で「治験薬」としての使用は認められることに。これまで約39万人に投与され、現在も年間3万人のがん患者が使用している。丸山氏は、この丸山ワクチンの開発者・丸山千里博士の長男だった。
そして’08年3月の検査では、奇跡の結果が。食道がんが劇的に好転していたのだ。しかし主治医は続けての抗がん剤治療を提言する。丸山氏は父親のことを明かし、副作用の強い抗がん剤治療を減らすよう直訴したという。そして同年9月、食道がんは消え、転移も胃の脇にわずかに残るだけとなっていた。
「抗がん剤も放射線もそれなりに効いていたんでしょう。そして僕には丸山ワクチンも効果があったと思う。医者からすればとんでもない患者だったでしょうが」(丸山氏)
だが、これで丸山さんとがんの闘いが終わったわけではなかった。’11年5月、転移した胃のリンパ節のがんが大きくなり「胃の全摘手術」を提案される。しかし彼は抗がん剤と放射線での治療をリクエスト。もちろん、丸山ワクチンも継続した。すると数カ月後に、転移がんは見事に消えていたのだ。
”余命4カ月”と覚悟してからすでに4年3カ月が経過している。丸山千里博士の逝去から15年、彼は父親についてこう語った。
「私が小さいときから毎日、親父は研究室と患者の病室で過ごしていました。そんなに働いても、我が家の家計は火の車でした。でも今回、私は親父に命を救われた思いでいます」