「先日、友人とお茶した帰りに『また会おうね』と言ったら、『うん、誘ってね』と返事をされたんです。その言葉がどうしても引っかかってしまって……」
そう話すのは都内在住の主婦・岩本香代子さん(仮名・45歳)。友人はあいさつ代わりに軽く発したのだろうが、“誘うのはあなたで、会うかどうかを決めるのは誘われた私”と言われた気がして、モヤモヤした気持ちがおさまらないという。さらにそれ以来、人と会う約束をするたびに、どちらから誘ったかを意識するようになってしまったとも。
「考えすぎと言われればそうですが、彼女が上から目線で私に接しているようにも思えてきて。人づきあいって難しいですね……」
じつは、香代子さんのように“どちらが誘ったか”を気にし始めたのを機に、深刻な悩みへと発展するケースは少なくないという。元・銀座クラブのホステスで、女性特有の人間関係にも詳しい心理カウンセラーの塚越友子さんに話をうかがった。
「島国である日本では、協調性をもち、人とうまくやることが美徳とされてきました。ゆえに、『友達100人できるかな』という歌も、“できたらいいね”ではなく、“できないと失格”と翻訳されがちなんです。つまり、友達が多くてみんなから好かれる人は、集団の中で価値があるという構図ができあがっていて、最近はSNSの普及により、さらにクローズアップされているように思います。その、好かれていることのバロメーターとして、『誘われる側が上』で『誘う側が下』という暗黙の了解のような価値観は確かに存在し、蔓延していると感じますね」(塚越さん・以下同)
「誘う」と「誘われる」を隔てているものは、複雑で大きそうだ。塚越さんは、その間をくっきり線引きしたがるのは女性がほとんどだという。
「男性は子どものころから、集団のトップを目指すよう期待されるのに対し、女性は協調性、共感性をもって生きることのすり込みがなされています。また、“追われてなんぼ、望まれてなんぼ”という、いささか古い恋愛セオリーから抜けきれないまま強い価値観が形成されているケースもあり、誘われる側になることを強く肯定してしまうのです」
香代子さんが友人の言葉に敏感に反応してしまったのは、女性としてはよくあることなのかもしれない。しかし、今後もこの問題に振り回されて生きていくしかないのだろうか。
「そんなことはありません。女性は、就職→結婚→出産→介護などと、ライフステージごとに友達も変わっていくもの。共感を好むので、その時々で似たような環境下にある人を自然と友達に選ぶことが多いのです。学生時代のように、与えられた状況下で人間関係を築くのではなく、なんのしがらみもなく自分がつきあいたい人とつきあえる今こそが、ある意味、人生の中でいちばんいい段階といえます。せっかく純粋に楽しめるステージにいるのだから、うじうじした価値観を持ち込まず、いい距離感を保ちながら、お互い心地よく過ごせる関係を築いていきたいものですね。それにはまず、自分の価値観からくる言動を細かく読み解いていくことが必要です。自分は人間関係の何に傷つき、不安になるのか、その原因は自分が何を重要視しているからなのか、ゆっくり考えていきましょう」
塚越さんがカテゴリー化する「誘われる人」「誘う人」のタイプは大きく分けて、「誘い誘われる人」「誘ってばかりで誘われない人」「誘わないけど誘われる人」「誘えないし誘われない人」の4つ。
悩む人が多いのはもちろん、「誘ってばかりで誘われない」「誘えないし誘われない」の2タイプだ。“誘われない”以外の共通点はないように思えるが、じつは、根っこは同じなのだという。
「どちらも、誘うことを意識しすぎてしまった結果、誘い下手になってしまったきらいがあります。自分が誘ってばかりいると言いつつ、相手のペースを考えず誘っている、人数合わせや自分の体面のためにやみくもに誘う……など、思い当たることはありませんか? 誘えない人も、相手にばかり誘わせているのに気づかないでいる場合もあります。じつは、誘われる人は誘うのもうまいもの。キャッチしやすいボールで投げれば、相手もいいボールで投げ返せるのと同じです。誘い誘われる関係になりたいのなら、誘い上手を目指しましょう」