■長寿の秘訣は“若いときの頑張り貯金”。これからの目標は小説を書くこと!
「100歳を迎えるというので、国と県と市からは去年のうちに表彰状などが送られてきましたが、母自身は、いつもと同じ生活です。要介護認定は4で、週2でデイサービスに通っています。耳も遠いですが、補聴器は嫌がってつけません。足も悪くて杖も買いましたが、本人は『こんなん使うか、あんたが使い』と(笑)。
好物は、ウナギ。ずっと変わらないのは、おいしいものを食べると必ず『あんたも食べりぃ』と言うこと。ああ、母の“人にはやさしく”という精神のルーツは100歳になっても変わらないんだなと思います」(真貴子さん)
真貴子さんによれば、今でも開発者である利子さんに会いたいと日本中からファンが訪れ、ポン菓子機の実演を母娘ですることも。
「数年前から、機械の蓋を開けるときの木槌は重いので私が代わっていますが、最近は私も70代となり、一発では開けられなくなっていたり。ただ、母は多くのことを忘れても、ポン菓子機のこととなると鮮明に覚えていて、夢中になって説明しています。一昨年からは、母が元教師だったというご縁で、母の生まれ故郷大阪府八尾市の小学校で、ポン菓子機を通じた生徒さんたちの体験授業も行われています。ここ北九州でも地元の劇団によって母の生涯の舞台化が動き始めるなど、本人も喜んでいます」(真貴子さん)
100歳にして、なお元気でいる秘訣について、当の利子さんは、
「それは、若いときに日本中をまわったり、懸命に働いた体験があるから。そのときに頑張った分の気持ちの貯金のおかげで、年とっても笑って過ごせるんよ」
現在、ポン菓子機の製造を技術主任として「タチバナ機工」(八幡西区)で行う雄三さんは、
「ポン菓子機を手作りで1台ずつ製造しているのは、うちだけ。両親の精神を継いでいるとの自負もあって、販売やメンテナンスも対面で行っています。すると不思議に、まず『どんな仕組みになってるんだ』と人が集まってくる。この人と人とのふれあいこそ、母が大切にしてきた原点です。それを忘れずに作り続けたい」(雄三さん)
文明さんも、喜寿を機に「両親の創業の地で再スタート」との思いで、昨年末に東京から利子さんたちの暮らす隣町の小倉北区に事務所を移した。
再び息子、娘ら家族に囲まれて百寿を迎えた利子さんに、さらなる人生の目標を尋ねた。
「小説を書きたいね。子供のころから理科以上に国語が好きで、先生からも作文を褒められておったからね。タイトルも決まっとって、『鉄と女』。どうかな、おもしろそうやろ」
世紀を超えて歩んできた100年。利子さんの隣には、いつも愛する人々の笑顔と、ガタンゴトンと回り続けるポン菓子機があった。
(取材・文:堀ノ内雅一)
画像ページ >【写真あり】「100歳は世間では人生の一区切りでしょうが、母はなお、前に進もうとしてます」と真貴子さん。いとはんのポン菓子人生は続く(他4枚)
