■口で話せたときよりも、夫を深く知ることになった文字盤での会話
実は高倉さん自身も、2018年に食道がん、2020年には、リンパ節に転移したステージ4の下咽頭がんになった。しかし、そんな逆境もこんな発想で乗り越えていく。
「がんになって最初に思ったのは、とにかく『休める!』と。夫の自宅介護が始まってから丸5年は、週1回、夫がデイサービスに行っている7時間だけが自由時間。がんで死んじゃうかもしれないのに、入院して、本やマンガが読める。自分だけのために使える時間を使えることがうれしかったのです」
2度のがんは根治したが、引き続きの通院、夫の介護、さらには子どもたちの受験……と怒濤の50代を過ごした高倉さん。
「もちろん、夫が病気になってよかったという思いはまったくありません。文字盤を通しての会話なので、たくさんの言葉は交わせないのですが、元気だったころより、夫をより深く知ることができた部分はあるかもしれません。
たとえば、夫はヘルパーさんにマンガや宝塚歌劇団について質問されることが多く、その答えを手紙に“代筆”するのをよく手伝います。そのやり取りで『あ~、こんなふうに考えているんだ』と気付くこともしばしば。夫の思考をのぞき込むというか……夫が倒れなかったら、死ぬまでわからなかったことなのかもしれません」
『眼述記』のあとがきに、夫の矢部さんは監修者としてこんなメッセージを妻に贈っている。
『たよりにしてまっせ、おばはん』
4月11日から毎日新聞西部本社版朝刊で新しい連載が始まった。タイトルは『真・眼述記』。著者はなんと、夫の矢部さんだ。連載のバトンを渡された矢部さんが、こんなコメントを寄せてくれた。
「『眼述記』の連載で、愚妻が僕の愚痴ばかり7年も書き散らしてるので、そろそろ“こちら”側からの話を書いてもいいかなと思った(笑)」
二人三脚のエッセイが、これまでも、これからも、多くの人の気持ちを前向きにさせていく。
画像ページ >【写真あり】高倉さんが10年書き続けた『眼述記』は、夫の矢部さんに引き継がれる(他5枚)
