【前編】「あの日以来、乗ることができません」シンドラー社製エレベーター事故で16歳長男を失ってから20年…階段を上り続ける74歳母の“消えぬ問い”から続く
’06年6月3日夜、市川正子さん(74)は、想像を絶する事故で愛する息子を奪われた。東京都立小山台高校2年生だった市川大輔くん(当時16歳)が、突然ドアが開いたまま急上昇した自宅マンションのエレベーターに挟まれ、息を引き取ったのだ。当時この「シンドラー社製エレベーター戸開走行死亡事故」は大きく報じられ、「シンドラー社」の名は全国に知れ渡った。
「子どもの友人の死を、私たちもいまだに、受け入れることができません」
「なぜ事故が起きたのか? 子の教育のためにも、大人が真実を明らかにしなければいけないと思う」
大輔くんが在籍した小山台高校野球班の保護者たちが、正子さんにこんな言葉をかけてくれた。そして──。
「私たち親が、きちんと訴えていきたい。子どもたちも同じ思いでいると思います」
保護者の声は幾重にもなった。事故後1年半あまり、原因解明が進まないことを心配した保護者らが署名運動を始めたのだ。正子さんが振り返る。
「大輔のために『なにかをしたい』と言って、保護者の方々が街頭に立ってくださいました」
その集まりは「赤とんぼの会」と、のちに名付けられた。名称の由来は高校のグラウンドによく現れていた、赤とんぼ。野球班のチームメートにとっても、大輔くんは欠かせない仲間だったのだ。小山台高校野球班同期で、現在は学校教諭の戸田尚太さん(36)が「いっちゃん」を語ってくれた。
「私たちのなかでは、じつは彼は“ひょうきん者”で、笑いを取る立ち位置でした。ムフフッと笑う“いじられキャラ”で、みんなに好かれていたんです」
事故直前の練習では、最後まで一緒にティーバッティングをしていたという戸田さん。
「片付けが終わった後、彼はレギュラーメンバーたちとバットを買いに行くということで『じゃあ、また』くらいに軽く別れました。夜遅く友達から『テレビ見た?』とメールが来て、『なんのこと?』と私が返すと『マンションの事故が……』って」
無言でテレビ画面を見ていると、両親が寄り添ってくれたという。
「そのあとは、ずっとベランダで私は泣いていました。ただ涙しか出ませんでした」
大輔くん亡き後、試合のベンチには、必ず彼のバットとユニホームを一緒に置いた。
「あの日いっちゃんが買ったバットを打席で使う同期もいました。一緒に闘っている思いでした」
’08年1月から、保護者、チームメートをはじめとする生徒、関係者らが街頭に立つと、命日の6月3日までになんと40万筆超の署名が集まった。最終的には、46万7千642筆もの「事故原因の全面解明と刑事責任の厳正な解明、再発防止対策の早期実行を求める」署名を国交省、東京地方検察庁、警視庁に提出。
マスコミも大々的に報じ、全国的な関心事となった。そして’09年2月、国交省で昇降機等事故対策委員会が設置されたのだ。正子さんが話す。
「じつは、それまでエレベーターやジェットコースターの事故原因を調査する機関はなかったんです。この委員会の設立で、事故原因の調査が進み、再発防止の策定にも弾みがつきました」
国交省が「事故調査報告書」を公表したのは’09年9月8日。そこで「ブレーキの異常摩耗などによる戸開走行」が事故原因だと、ついに明記されたのだ。
「事故までの段階で異常摩耗などが進んでいて、かごを停止階で止めるブレーキが利かなくなった。そのため、扉が開いたまま急速にかごが上がってしまった事故だと《原因》が示されたんです」
この事故原因の特定と並行して、法令も改正されることになった。
「建築基準法の施行令が改正され、新しく設置されるエレベーターには戸開走行保護装置(二重ブレーキなど)を設置することが義務付けられました」
この「二重ブレーキの義務付け」により、少なくとも新しく設置されるエレベーターでは、大輔くんのケースと同じ要因で犠牲が出ることは、理論上なくなった。
「しかし義務化前の既設エレベーターは対象外です。エレベーターを利用する方の多くは、戸開走行保護装置が設置されているかいないかを、気にして乗っていないと思います」
また、遺族と赤とんぼの会は、エレベーター・エスカレーター・ジェットコースター等の生活空間で起きる事故の調査機関の必要性を感じていた。そこで消費者団体とともに、消費者庁設置運動に加わり、訴えを続けた。そして、消費者事故の独立した調査を担う消費者庁が、内閣府の外局として’09年に発足した。
ときに’13年に始まった刑事裁判では、シンドラー社の保守責任者やSEC社(保守会社)の社長らが業務上過失致死罪に問われたが、’18年に無罪が確定。被告が刑事責任を問われることはなかった。
いっぽう、正子さんと和民さんがシンドラー社、SEC社、日本電力サービス(保守会社)、港区住宅公社、港区を相手取った民事裁判は’17年11月に和解が成立。
「被告(製造会社ら)の社会的・道義的責任を果たすべく、不断の意思をもってエレベーター事故の再発防止のために全力を挙げて取り組んでいくこと。エレベーターの安全確保や再発防止のための原告らの活動(講演会などを含む)を被告らが補償し、支援すること」が和解条項、覚書に明記された。
正子さんが切望していた、再発防止に向けて、事業者側が果たすべき責務と、広く利用者に現状を知らせる重要性とが明確化された。
