グルメ
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(第1回)昭和26年創業、老舗の中の老舗
2008/02/15 00:00おそらくは、最も初期の中華そば。“そばつゆ”の味わいにも似た、醬油の旨みが広がるスープ。まとまりよく茹で揚げられた麺は、細身なのに“腰”が強く、つゆがとてもよく馴染む。だからついつい、ズズッとすすってしまう。ズズッ、ズズズッ…すすって味わうこの感じ、たぶんラーメン本来のおいしさ。ラーメン500円、そして人気の上五目、770円(写真)。ゆで玉子、ナルト、カマボコ、ほうれん草、しいたけ…おせちのお重を -
(第4回)シャッターの下りる街に、そして帰ってきた
2008/01/18 00:00味は人なり。お店の看板が一緒でも、作る人が変わるとすべてが変わってしまうことを、山口家の江口夫妻は体験した。昨年の2月から12月まで若い人にお店を任せ、一度は“代替わり”をした2人。他の千束通りの商店街でも流れる時代の趨勢で代替わりをしたり、後継者が見つからずシャッターを下ろす店が増えていた。「特にこの10年は景気悪いね。大型店にお客さんは流れていくし、若い人も減っていくし…さみしいですね。この通 -
(第3回)独学の自己流、ママさんの特製スープ
2008/01/17 00:00「そうだっけ? スープの味、作ったの私かな?」と豪快に笑う、山口家の“ママさん”こと江口友子さん。すかさずご主人が「そうだよ(笑)」とツッコむ。鶏・豚に玉ねぎ、長ねぎ、にんにくなどでていねいに作ったスープのベース。しっかりと舌にコクと旨みは来るのに、全然しつこくない。年配の女性のお客さんたちが、おいしそうにすすっているのも納得だ。「けっこうあっちこっち食べには行ったよね。他の店で修行? 全然しない -
(第2回)40年前、“支那そば時代”だった
2008/01/16 00:00「おしるこやあんみつだけじゃ、やっていけなくなって、それで始めたんだよね。最初は焼きそば。それでお客さんに“支那そばはないの?”って言われて。もう40年は経つかな?」。甘味処で何故ラーメン?との質問に、「山口家本店」の2代目主人・江口勝弘さんはこう答えた。愛知出身の江口さんにとって義理の母にあたる、先代のおばあちゃんが昭和21年に甘味処としてお店を始めて15年。昭和40代の浅草――今から見ればじゅ -
(第1回)生粋の浅草の下町、老舗の甘味処にて
2008/01/15 00:00古き良き日本の象徴といえる街・浅草。正月の盛りを過ぎても浅草寺へ続く仲見世通りは参拝に訪れた人、人、人であふれ返り、演芸場近くの赤ちょうちんが並ぶ横丁では、ジャンパーを着込んだおじちゃん達が、昼から煮込みで一杯やっている。そんな、TVでよく見る観光地チックな中心街を抜け、ひさご通りの大きなアーケードを背に大通りをひとつ超えると、“暮らしの場”としての浅草の街が見えてくる。店頭におそうざいの焼き鶏を -
(第4回)シビアな視点と謙虚な努力が、万人向きの味を作る
2007/12/21 00:00お昼からビールでほろ酔い気分の常連さんはもちろん、最近では東京の名所として、海外からの観光団も多く訪れる「思い出横丁」。「若月」にもガイドブックを見た海外からの団体様がやってくる。「香港、台湾から、すーごい、今! お店じゅう、海外のお客さんばかりの時もありますよ」(芙美子さん)。「ポークラーメン? OK、OKってチャーシューメン作ったりね。中国の人はおいしい時「イチバン! イチバン!」、ヨーロッパ -
(第3回)ラーメン作りの根底にある、故郷・新潟での雪下ろし体験
2007/12/20 00:00新潟の農家で10人兄弟の末っ子に生まれた次作さん。「東京に出て来るまでは、山奥で土方やってた。楽しかったよー、何も考えないで働いてるだけだから。山でね、地すべりが起きるの。止めないと信濃川に土砂が流れて、川がつまって洪水になる。その地すべりを止める工事の、さらに準備の工事。道を作るんだね、工事の機材とかを運ぶための道を。その工事」 そして冬に積もる4mの豪雪。「家守るの大変なんだから! 雪おろしじ -
(第2回)戦後の闇市時代、映画のワンシーンのような思い出話
2007/12/19 00:00「思い出横丁」の歴史は昭和23年頃、戦後の闇市にまでさかのぼる。小麦粉が出回らず、ラーメンもうどんも口にできなかった時代。「この通りができた時からお店はあったけど、最初はおイモとか出してたみたい」(芙美子さん)。当時店を切り盛りしていたのは、まだご存命の初代のおばあさん、若月さん。そして次作さんのお姉さん。荒川の方で営んでいた食堂が戦火で焼け、戦後新宿に流れてきたのがはじまりだったという。今の半分 -
(第1回)小さなお店ののれんを守り続ける3代目ご夫婦
2007/12/18 00:00忘・新年会シーズン。帰り道で食べたくなる、飲んだ後のラーメン。もしそこが新宿だったら、ちょっと冒険して西新宿の「思い出横丁」をのぞいてみてほしい。赤いちょうちんに「自家製手打ちらーめん」と書かれたのれん。ほろ酔い気分の常連さんが並ぶカウンターに腰かければ、ほっこりと温かい湯気が立つ、やさしい味の醬油ラーメンが出てくるはずだ。新宿「若月」の「手打ちラーメン」(400円)。麺は毎日ご主人がお店の2階 -
(第4回)火加減、煮干しの味の出方には細心の注意を
2007/11/15 00:00メルシーの味は変わらない。僕も15年通っているが、味にブレがない。特にスープがいつも熱い。15年、ぬるかった記憶がない。その事を先代の店主・日出男さんに伝えると「変わらないって…ラーメンの作り方はだいたい同じだよ!」と一笑に付されてしまった(笑)。 「火加減、にぼしの量には毎日気をつけています。たぶん、にぼしは他のお店よりもたくさん使ってる。日によってにぼしは味の出方が違うから、毎日食べて確かめ -
(第3回)たくさん、手早く。だけど丁寧に作る
2007/11/14 00:00今年90歳の創業者、小林日出男さん。今も毎日、夕方から厨房に出ているが、現在メインで店を切り盛りしているのが、2代目の小林一浩さん(46)。先代・日出男さんの親戚で、大学時代に店で居候をしながらアルバイト。大学卒業後、2年ほど会社勤めをしたものの「せっかくの縁だから」と思い直してメルシーで働く事を決める。養子入りして文字通りお店と“結婚”し、今日まで20年間、先代の味とポリシーを受け継ぎ、守り続 -
(第2回)「客は学生。値上げは極力控える」がポリシー
2007/11/13 00:00戦前は喫茶店を経営、戦火で店を失った終戦後は、当時進駐軍に接収されていた新宿伊勢丹で10年間バーテンダーをやっていた小林さん。進取の精神に富み、進駐軍仕込みのハンバーガーを、後に開店するメルシーでも出してみたという。ただ昭和33年当時の日本人にハンバーガーはまだ馴染みがなく、メニューから消えてしまった。 昭和45年に現在地に移転するまでは、早大南門近辺で営業していたメルシー。現在も看板に「軽食」 -
(第1回)創業は昭和33年。店主は今年、90歳
2007/11/12 00:00激安ではない。値上げを控え続けてきた結果の、昔ながらの適正価格。学生の町、早稲田で今も昔も繁盛しているラーメン屋さんが“軽食&ラーメン”のメルシーだ。人気メニューのラーメン(390円)は、たっぷりのにぼしでダシをとった、しっかりめの醤油味。にぼしに醤油。老若男女問わず、日本人なら誰もが「うん、これ!」とうなずいてしまう味。スープに負けない中太麺。チャーシュー、メンマ、モヤシ、コーン、ネギと具のバ